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2015年NHK大河ドラマ『花燃ゆ』で注目の吉田松陰(吉田寅次郎)。
長州藩の松陰先生と言えば、墓碑もある山口県萩市の松下村塾・松陰神社が本場であり、多くの観光客が訪れますが、実は「東京」にも吉田松陰や長州藩の志士らに、大変ゆかりある「聖地」があります。
江戸小伝馬で処刑された吉田松陰の墓
大老・井伊直弼の安政の大獄により、幕末の1859年に、志半ばで処刑された吉田松陰。
僅か30歳と言う、早く、悲しい死は、倒幕に向けて大きな布石を敷きました。
当初、吉田松陰の遺体は桂小五郎・伊藤俊介らによって小塚原の回向院(東京都墨田区両国)に埋葬されました。
その4年後である1863年に、松下村塾の門下生であった高杉晋作、伊藤博文らによって、長州藩主・毛利敬親の江戸別邸があった地に祠を立てて改葬されました。
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その後明治15年に、明治政府などで活躍した松下村塾門人らによって、その地に松陰先生を祀る神社が創建されます。
以後は、東京における松陰先生供養の地として現在の「松陰神社」に至り整備されました。
境内にある松陰先生の墓域には、吉田松陰の墓碑をはじめ、小林民部、来原良蔵、福原乙之進、綿貫次郎輔、中谷正亮ら烈士の墓碑も並ぶ聖域となっており、お参りする事ができます。
身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂
上記は吉田松陰が最後に残した辞世の句です。
「至誠」「真心」が人を動かす世界を夢見た吉田松陰の意思は、多くの優秀な弟子に引き継がれた訳ですが、そんな優秀な弟子を多数輩出したとして、松陰神社は「学問の神様」としても崇敬されるようになりました。
境内には合格祈願の絵馬もたくさん垣間見え、受験シーズンには多くの学生や親御さんで賑わい、合格祈願お守りなども人気なようです。
他にも吉田松陰にまつわるお守りがあり「初心を忘れず困難にも恐れずに立ち向かいたい」と、私は、松陰先生直筆写の「志」お守りを頂いて参りまして、大切にさせて頂いております。
松下村塾や吉田松陰先生像など見どころも満載
東京・松陰神社の境内には、松陰先生の教育道場であった松下村塾の建物が再現されております。
萩においても保存されている松下村塾ですが、改めてその小さな建物に驚かされます。
雨戸は土日祝のみ開放され、建物内部を伺う事ができます。
また、木戸孝允寄進の鳥居、徳川家奉納の水盤と石燈籠、毛利元昭公、伊藤博文、山縣有朋、井上馨、乃木希典、野村靖など、蒼々たる偉人が奉献した32基の石燈籠など、貴重な文化財にも触れる事ができますので、幕末好きの方にも欠かせない場所となっております。
松陰神社への行き方ですが、東京を走る数少ない路面電車形式の東急世田谷線に揺られて、松陰神社前駅を下車。
懐かしい雰囲気が漂う「松陰神社通り商店街」を北へ抜けると徒歩5分くらいで松陰神社が見えてきます。
商店街にはちょっとしたお土産店や飲食店などもありますが、車の往来にはご注意願います。
付近には豪徳寺などもございますので、合わせて散策がてら、幕末を偲んでみてはいかがでしょうか?
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