まひろの友人「さわ」と言う親友は平維将の娘か?【光る君へ】さわの実在に迫ってみた

まひろの友人「さわ」と言う親友は平維将の娘か?

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さわとは?

2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」にて、俳優(女優)の野村麻純さんが演じる役名で「さわ」と言う女性がいる。
NHKさんの解説によるとこの「さわ」は、まひろ(紫式部)の友人で、父・藤原為時が世話をした女性の、以前の結婚で生まれた娘と説明されている。
そして、父親が九州へ赴任したことが京を離れるようだ。

この「さわ」と言う女性は史実にて存在したのか?、調べた見た結果、平維将の娘(名前不詳)の可能性があるため検証してみた。

平維将

平維将(たいら の これまさ) は平安時代中期の武将で、邸宅は左京二条万里小路にあった。
994年に盗賊捜索の功があり、995年、肥後守となって九州に赴任している。
平維将の妻は、藤原雅正の娘だが生母や名前は不詳。


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妻の父・藤原雅正(ふじわら の まさただ)は、中納言・藤原兼輔の長男。
この藤原雅正と正室・藤原定方の娘の間に生まれていたのが、紫式部の父・藤原為時と言う事になる。
すなわち、藤原為時と藤原雅正の娘(平維将の妻)の父は同じ藤原雅正であったので、2人は母が違う兄弟であった可能性が高い。
と言う事は、NHKさんの説明にあるように、紫式部の父・藤原為時が、妹とも推測できる藤原雅正の娘(平維将の妻)の面倒を見ていたとも言えるだろう。
そんな、藤原雅正の娘(平維将の妻)の夫である平維将の子女には、母が不詳の平維時(たいら の これとき)がいる。
しかし、その他の子供の記録は伝わっていないが、子供がひとりだけと言うのは少し考えにくい時代のため、不明な子供が何人かいてもおかしくはない。

では、なぜ「さわ」が九州に赴任した平維将の娘なのか?の部分を説明してみる。

紫式部集

「紫式部集」では、同時期に紫式部は姉を亡くし、親友である「筑紫の女」は妹を亡くしていることから、お互いを「姉君」「中の君(=妹君)」と呼び合っていたとある。
その親友の女性は「筑紫の女」、すなわち筑紫に行く男性の娘と言う事で、父が赴任するため肥前国に移り住んだ「筑紫へ行く人のむすめ」と言う説がある。
この筑紫に移った時期が、ちょうど平維将が赴任した時期に重なるようで、「筑紫へ行く人のむすめ」は平維将の娘である可能性がある訳だ。
紫式部と平維将の娘(筑紫の女?)は従兄弟(いとこ)だったと言う可能性があり、別れたあと贈答歌を詠んでいる。
越前から京に戻った紫式部が藤原宣孝と結婚して藤原賢子を産んだのは999年頃なので、それより数年前の話だったようだ。


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紫式部集より抜粋

筑紫(つくし)の肥前(ひぜん)といふ所より
文(ふみ)をおこせたるを
いと遥かなる所にて見けり。
その返りごとに、

あひ見むと 思ふ心は 松浦(まつら)なる
鏡の神や 空に見るらむ

返し、又の年持て来たり。

行きめぐり 逢ふを松浦(まつら)の 鏡には
誰(たれ)をかけつつ祈るとか知る

最初に歌を送ったのは紫式部で、どうやら996年に父が赴任した越前から差し出したようだ。
ただ、その歌は2番目の「松浦の鏡」のほうを紫式部が先に詠んだ歌で、その歌を越前から肥前に出したら、翌年に返事の歌(1番目)が肥前・筑紫から届いた模様である。

松浦なる鏡の神は、佐賀県唐津市にある鏡神社の事で、紫式部も知っていたようだ。

鏡神社

九州に行ったことがない紫式部は源氏物語の「玉鬘」(たまかづら)にて、肥前や筑紫の地理に関して詳しい描写をしている。
紫式部の夫・藤原宣孝も結婚前に筑前に赴任したことがあるが、平維将の娘(筑紫の女?)とのやりとりでも詳細情報を得ていたのかも知れない。


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源氏物語に登場する架空の女性として、光源氏の女君の一人に「筑紫の五節」(つくしのごせつ)と言う人物が登場する。
簡単に解説すると、筑紫の五節は父の赴任先である筑紫にいたので光源氏とは手紙で和歌を詠み合ったが、直接会うことはなかったと言う設定になっているのも注目だ。

実際に平維将の娘(筑紫の女?)は肥前で亡くなり、京には戻らなかったとされている。

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