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2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」のあらすじ(ストーリー)、第21話と第22話です。
その後ですので閲覧にはご注意を。
真田丸「第21話」のあらすじ
2016年5月29日放送予定の「真田丸」21回のストーリー・あらすじです。
豊臣秀吉はいっこうに上洛しない北条氏政・北条氏直に苛立ちを隠せません。
茶々との間に生まれた子・捨(鶴松)の為にも、早く天下を安泰にしたいのです。
石田三成は、豊臣秀吉が千利休のところに通い、北条攻めの相談でもしているのでは?と、真田信繁(真田幸村)に確認します。
すなわち、石田三成や大谷吉継らも、発言力が増している千利休を警戒するようになります。
また、豊臣家の跡継ぎとなる捨(鶴松)が生まれたことで、これまで世継ぎと見られてきた豊臣秀次の立場も微妙になって来ましたが、本人は元々「跡継ぎの器ではない」し、捨(鶴松)が元服するまで支えると、キリに心の内を打ち明けるのでした。
上田城の真田信幸は、なかなか心を開かない稲姫(小松姫)がもどかしいのですが、娘を溺愛している本多忠勝も、頻繁に上田城へ様子を見に来ていたので、余計に夫婦として打ち解けられずにいます。
なお、病気がちだった「おこう」は不思議な事にだんだん元気になってきていました。
徳川家康は密かに北条氏政と国境の寺で会談しますが、徳川家康は、今は勝ち目がないからおとなしくしているが、いつまでも豊臣秀吉の臣下でいるつもりは無いと語ります。
そう話した上で、北条家の為に「長いものには巻かれて、今は生き延びよ」と助言しますが、北条氏政は「秀吉を倒す」と言って聞きません。
小田原城に戻った北条氏政は板部岡江雪斎を呼び「沼田城を真田昌幸から取り戻すのと引き換えに上洛する」と豊臣秀吉との駆け引きに出ます。
この一報を受けた石田三成は、惣無事令の考えにも合うとして、殿下に沼田城を真田家から取り上げて北条家に渡してはと助言しますが、豊臣秀吉は「それでは真田昌幸が納得しないだろう」と思案を巡らせます。
上田城にいた真田昌幸が聚楽第へと呼び出されますが、石田三成から頼まれた真田信繁が説得しますが、今回、京に呼ばれた理由が沼田城の事だと知ると、ヘソを曲げます。
もっとも、石田三成も、素直に沼田城を明け渡すとは考えておらず、北条家と真田家の話し合いの場を作り、そこで豊臣秀吉が最終判断を示すと言う「話し合いでの解決」をと話を進めます。
両者の立場を良く知っている徳川家康も立ち会う予定になりますが、北条氏政はまだ沼田城が手に入るかわからない段階での上洛を拒み、板部岡江雪斎を派遣します。
そのため、徳川家も本多正信が名代として出席する事とするのです。
そして、次回の放送ではいよいよ「豊臣秀吉の沼田裁定」となりますが、そういえば最近は「佐助」が出てこないですね?
・稲姫・小松姫とは~良妻賢母・小松姫の素顔に迫ってみたまとめ
・小松姫と真田信幸(真田信之)の2人の生涯
・本多忠勝~名槍が似合う戦国の豪将・徳川四天王としての生涯
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・石田三成とは~律儀で算術が得意だった才ある武将の印象も
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・北条氏政【詳細版】~小田原城主・関東覇者への道のり
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真田丸「第22話」のあらすじ
一同が会して豊臣秀次、石田三成、片桐且元も出席し「沼田裁定」が始まります。
真田信繁(真田幸村)と板部岡江雪斎が、それぞれ自らの正当性を訴えるのを、隣の部屋でこっそりと真田昌幸は聞いていました。
話し合いは真田家が有利となって終わり、あとは豊臣秀吉の裁定を待つため休憩となります。
石田三成は、北条氏政と北条氏直を上洛させる事ができるのであれば、殿下は沼田城くらいやっても良いと思っていた。
しかし、それでは真田家の面目が立たないため、わざわざ話し合いにしたのだと言い、沼田城を諦めなければ、また大きな合戦になってしまうと言い、真田昌幸に手をついて頭を下げます。
そのため、真田昌幸も譲歩して沼田城を引き渡す事を決心しますが、条件として「名胡桃城」には先祖代々の墓がある為、名胡桃城だけは許してほしいと言い、石田三成に約束させました。
ちなみに、史実においても、名胡桃城には真田家の墓は無く、これは真田昌幸の思いつきであり、結局、沼田領は70%が北条家、30%が真田家に分割されるのです。
約70%失った真田家のは、徳川家が代替地を用意することになりました。
板部岡江雪斎はこの条件で、北条家の上洛を約束し、小田原城に帰ると報告します。
しかし、名胡桃城が真田家に残り、沼田を完全に手に入らなかったことに北条氏政は納得いきません。
そのため、沼田城の引き受けに、わざわざ2万もの大軍を派遣して抗議を示します。
そして、沼田城に入った北条家臣・猪俣邦憲が、名胡桃城主・鈴木重則(鈴木主水)を騙して、城を奪取すると言う「名胡桃城奪取事件」が起こります。
鈴木重則(鈴木主水)は責任を感じて自害し、上田城にいた真田信幸も、すぐに兵を出して名胡桃城を奪還しようと言う高梨内記らを抑えつつ、京の真田昌幸の支持を仰ぐべく、佐助を派遣します。
報せを聞いた真田昌幸は、名胡桃城攻撃の許可を豊臣秀吉に求めましたが「名胡桃城の事は預からせてくれ」と返され、納得いかないまま退きます。
豊臣秀吉は「これで北条攻めだな」と石田三成にこぼすと、今一度、名胡桃城の返還と北条氏政の上洛を要求します。
しかし、北条氏政は危機感がなく、板部岡江雪斎が強く上洛を勧めます。
そこで、北条氏政は、猪俣邦憲が勝手にやったことだから名胡桃城は返すと返事を送ります。
でも、豊臣秀吉側としては、これでは北条征伐する大義が得られません。
それだったら猪俣邦憲の首を差し出せと返書を出しますが、北条氏政は応じる気がありません。
そして、千利休との茶室から出て来た豊臣秀吉は、石田三成に「戦支度」を命じるのです。
すぐに軍勢は来ないだろうとタカをくくっていた北条氏政は、板部岡江雪斎を駿府城に送って、徳川家康に味方するように打診しますが、豊臣秀吉は21万もの大軍を差し向けます。
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2016年 5月 21日
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