自己紹介にござる 皆の衆、よろしくお頼み申す
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黒田官兵衛にござる。2014年には1年間、大変お世話になり申した。
今まで、ワシの印象は「騙し討ち」をするような戦国武将と言う評判もあったようじゃがの、そうでもしないと戦国の世はなかなか厳しい世界であった。
しかし、黒田の家は守れたし、思う存分ワシは生き抜いたと思うと、満足できる人生であったの。
このサイトでは優秀な我が家臣らによる情報もお伝えしていくぞよ。
と言う事で、秀吉様もよろしくお願い申し上げまする。
うむ、豊臣秀吉じゃ。
ワシは農民の出だと言う者がおるがの、まぁ、その辺りは豊臣秀吉コーナーでも、ご覧くだされ。
とは言え、仕えてくれた家臣らのお蔭で「天下人」になれたのは、本当に感謝してもしきれぬ。
ちょっと、淀殿が呼んでいるからの、早々じゃが失礼するぞ。
あとは、幸村、任せた。ワッハッハ。
真田幸村にござりまする。
大阪城では秀吉様に大変お世話になり申し、徳川家康殿と一戦交える事ができたのは本望でありもうした。
戦国の世は、討つか討たれるか、また、いつ裏切られてもおかしくない時代であり申した。
我が父・真田昌幸も権力には勝てませなんだが、結果的には真田の家を守り通す事ができたと考えておりまする。
えっ?昔の名「真田信繁」と名前が違う?
まぁ、細かい事は言わないでくだされ。
我が真田忍者は情報収集能力に長けているからの、おもしろい話もたくさんお届けしようと思っておる。
桂小五郎でございます。あとで、木戸孝允と名を改めましたが、どちらの名の方が皆様よかったですかね?
高杉晋作と申します!
すごい面々の皆さまに加えて頂き、光栄でする。
結核に掛かり27歳の生涯でしたが、悔いはありませんでしたよ。
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伊藤博文と申します。総理大臣をやりました。
そういう意味では、私も天下を取ったような気も致しますが、しかし、難題ばかりの政務で忙しかったです。
思いがけない最後でしたがの。
家康じゃ。どうも~。
まずは秀吉様にお詫びをせねばなりませんの。
ごめんなさい。豊臣家をつぶしてしまいまして・・。
そんなつもりはなかったのじゃが、淀殿がどうしても言う事を聞いてくれんからの。
と、他人のせいにするのは良くないの。
お待たせした。戻ったぞ。
家康殿も来ておられたか。
まぁ、過ぎたことはもう気にせんで良い。
後継者の事をきちんとできずに先に死んだワシの至らなさだと今はおもうておる。
さて、ワシらの姿を皆様にご覧頂くにあたっては、「イラスト屋」さんと言う素晴らしいクリエイター様から、ありがたく使用しておるので、ご紹介もさせて頂いたでございるよ。
関白・秀吉と言えども、規約にて20個までしか使えないがの、仲間に加わりたいと言う者がおれば、増員することもあるかも知れんからの、期待しておってくれ。
そうそう、お願いがござる。
我々だけで会話していても、寂しいからの、皆の衆も各ページの「コメント?」やらに意見などお願い申し上げまするぞ。
コメント
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真田丸の歴史のあらすじは、大方存じてますが、このペーシのあらすじはとっても細かいし、詳しし読み応えがあります。真田丸の最終日まで、拝見しますので、よろしくです。
星野さま、コメントありがとうございます。ご参考になりますと、嬉しく存じます。御礼申し上げます。