スポンサーリンク
真田幸村にござる。
まえで(前回)、久坂玄瑞殿が松下村塾に入った話で終わってしまったからの、今回は高杉晋作殿が松下村塾に入る経緯をご紹介しよう。
高杉晋作殿は、200石と高禄の高杉小忠太殿の長男であったからの、久坂殿や吉田寅次郎殿とは異なり「裕福」じゃから、派手に遊んでおったようじゃの。
そんな高杉晋作殿を、久坂玄瑞殿がさそって、松下村塾に入る。この2人は、幼少の頃、寺小屋で共に学んでおった仲じゃからの。
大河ドラマ「花燃ゆ」では、学問をする目的と言うものを見失っていた高杉晋作殿が、小田村伊之助殿から「吉田松陰の塾に行ってみろ」と言われて、ときに見学しに松下村塾を訪れてみたと言う設定になるようじゃ。
そして、吉田松陰殿が高杉晋作殿に得意だと言う「詩」乞うて聞くと「素晴らしい才能をお持ちじゃが、武士のあなたより医者の久坂君の方が優れているようですね。もったいない。」と言い放ったと言う。
なお、この頃には、野村靖、赤禰武人(赤根武人)、寺島忠三郎、品川弥二郎、(敬称略)も松下村塾の門人に加わっていたようでござるよ。
そして、数日間のうちに、もっと学問をしたいと言う気になったようで、久坂殿の勧めもあって、正式に松下村塾の門人に加わったようじゃな。
おう、幸村。元気にしておるかの?
この饅頭をしんぜよう。
これは秀吉様。
ありがとう存じます。
今、高杉晋作殿が松下村塾に入門する話をしていたのでござりまする。
スポンサーリンク
そうかそうか。高杉殿と言うと、あの騎兵隊を作った方じゃな。
農民や町人まで隔たりなく兵に採用し、訓練させ強い軍にしたところは、見習わなくはならないの。
仰せの通りにござります。
しかし、西洋の最新式鉄砲の性能が良くなったため、ちょっと訓練するだけで、兵の運用が可能になったとも分析致しておりまする。
なるほど。
すなわち、兵器が進化したことに対して旧来の慣習に捕われず柔軟に対応し、最適な運用がとれる方法を実践した訳じゃな。
織田信長様みたいじゃの。
そのような考えに至る為の知識や実行力と言うものを吉田松陰殿の松下村塾で身に着けたのではと私は考えておりまする。
そういう意味では、若者の諸君「学問」ぞよ。
学ぶことこそが、将来の自分を切り開く原動力となるのじゃ。
と言う事で、皆の衆も意見などござったら「コメント欄」とやらところからでも書込み願うぞよ。
そうそう、先日、他の内容をTwitterでツイートしてくださった御仁がおられた。うれしかったぞよ。感謝申し上げる。<(_ _)>
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。