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お妻木 (おつまき)とは、明智光秀の実の妹、または義妹と伝わる戦国時代の女性です。
明智光秀の継室は、同じ一族の妻木城主の娘である妻木煕子ですが、その妻木一族の近親者である女性が、お妻木(御ツマキ)と考えられています。
わりと信憑性のある話として『言継卿記』『兼見卿記』『多聞院日記』に御ツマキの記述があります。
1577年には、御ツマキは興福寺・一乗院の御乳人であり、明智光秀の妹であると紹介されており、その御ツマキと明智光秀が、奈良・興福寺と東大寺の争いごとを収めるために、織田信長に働きかけたとあります。
1580年、織田信長が上洛した際に、山科言経の近所女房衆であった「ツマキ」らにも帯を献上したとの記述があります。
同じ年、吉田兼見が「惟任姉妻木」へ酒と食物を持参したとありますが、姉は誤記であると推測されています。
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1581年8月、惟任ノ妹ノ御ツマキ死了=明智光秀の妹・御ツマキが死去したとあり、織田信長が気を落としたとも記載されています。
織田信長が悲しむくらいの女性だったことからも、御ツマキ(お妻木)と言う女性は、織田信長の側室(愛妾)であったとする説もありますが、側室であった証拠はありません。
仮に、織田家に縁が深い女性でしたら、明智光秀と織田信長の間を取り持ったとも考えられます。
しかし、本能寺の変が発生する10ヶ月前に、御ツマキは死去しており、急速に明智光秀が織田信長を警戒するようになったとも言えるのではないでしょうか?
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