真田丸のあらすじ~第23話から第24話【NHK大河ドラマ2016】


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2016年のNHK大河ドラマ真田丸」のあらすじ(ストーリー)、第23話と第24話です。
ネタバレですので閲覧にはご注意を。

真田丸「第23話」のあらすじ

1590年、豊臣秀吉小田原攻めの陣立ては石田三成が任されます。

総大将は豊臣秀次、その後見に徳川家康を配して東海道を進む本隊とし、北国軍としては前田利家を大将に上杉景勝真田昌幸を付けます。
真田家は徳川家の与力でしたが、上野方面の地理にも明るいと言う事で北国軍に加わる事になりました。

豊臣秀吉は箱根湯本の早雲寺に本陣を置き、軍議を開くため帯同していた真田信繁(真田幸村)に諸将を集めるようにと命じます。
そして、軍議を終えると、徳川家康を誘って小田原城が見える丘に上がった豊臣秀吉は「この戦が終わったら関東を預ける」と言います。
うまい話に徳川家康は驚きますが「江戸に移れば駿府や三河なんかはいらんだろう」と言い、豊臣秀吉はさっさと陣へと戻って行きました。

小田原城で籠城する北条氏直は、毎日のように軍議を開きますが、開城か徹底抗戦か話し合っても結論が出ません。
これは「小田原評定」と呼ばれるものですが、北条氏政も心配しつつ伊達政宗が駆けつけてくるのを待っています。

千利休も箱根湯本に呼ばれるなか、北国軍は松井田城を落とし、忍城攻めでは初めて真田信幸が単独で指揮を執ります。
しかし、なかなか攻略できない忍城にしびれをきかせた石田三成は苛立ちます。

そんな折り、伊達政宗が白装束で訪ねて来て、豊臣家に臣従を誓います。
伊達家が味方についたことで、豊臣秀吉は小田原城を総攻めしようと考えますが、大谷吉継や徳川家康の進言で先に、忍城鉢形城を落とそうと言う話となり、忍城は石田三成に担当させると言う事になります。

伊達政宗が豊臣家についたことで進退窮まった小田原城では、板部岡江雪斎らの説得で降伏へと傾きますが、北条氏政は条件として「上杉家と同等の扱い、関東所領の安堵、豊臣家の重臣として重用すること」と提示します。
虫が良すぎる条件であるため、豊臣秀吉は当然承服できません。

石田三成は、上杉景勝と真田昌幸に鉢形城八王子城の攻撃を指示し、忍城は水攻めにして自ら4日で落とすと言い放ちます。

徳川家康と共に北条家を説得していた大谷吉継に呼ばれた真田信繁(真田幸村)は、小田原城に行って北条氏政に会ってきてほしいと頼まれ、佐助を伴って訪問します。
本多正信からこの算段は、「北条氏政を説得できるのは真田信繁だけだ」と板部岡江雪斎から見込まれて頼んできたものだと打ち明けられ小田原城に入ります。

小田原城にて板部岡江雪斎と会い、北条家の命運を託されますが、中には降伏には反対している者もいると聞かされた矢先、真田信繁は襲撃を受けます。
そして、城内を逃げている途中、誰かに胸を掴まれたのですが、その武将はなんと「小山田茂誠」と言う事になります。

かなり三谷幸喜さんなりの創作も入っているようですが、ドラマですので、小田原攻めの回もスゴク楽しみですね~。
こうして「あらすじ」を入力していても、非常にワクワク致します。

豊臣秀吉の小田原攻め~大軍にて小田原城を包囲した名だたる籠城戦
早雲寺~北条5代の墓がある北条家菩提寺【箱根湯本】
小松姫と真田信幸(真田信之)の2人の生涯
北条氏政【詳細版】~小田原城主・関東覇者への道のり
板部岡江雪斎~北条3代に仕えた外交僧であり和歌や茶道を好む風流人
上杉景勝(詳細版)~豪毅果断・潔白謹厳な武将
鉢形城~北条氏邦が改修した城の訪問記
石田三成の忍城水攻め采配と智略
忍城~高源寺~丸墓山古墳~石田堤の訪問記(成田家探訪)
八王子城落城の悲劇 (八王子城の戦い)と横地監物館跡
小田原の役と八王子城の戦い
猿飛佐助とは【真田丸の佐助】上月佐助・横谷庄八郎・三雲佐助賢春 実在の人物か?
小山田茂誠【小山田重誠】とは~真田家を頼った小山田一族

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真田丸「第24話」のあらすじ

2016年6月19日に放送予定の24回目です。

小山田茂誠は、が行方不明になったあと、小山田一族の縁を頼って北条家に拾われていました。
真田信繁(真田幸村)が、姉・が生きている事を伝えるまもなく、板部岡江雪斎に連れられて北条氏政と対面します。

真田家に恨みもある北条氏政は、家臣らに命じて真田信繁を拘束しますが、真田信繁は「真田家の使いではなく、豊臣家の使者として来た」とし、せめて徳川家康から託された書状だけでも呼んでほしいと懇願します。
家臣らを人払いし真田信繁を開放した北条氏政は2人きりとなり、真田信繁の説得が始まりました。
説得の内容は、是非テレビでご覧頂きたいので、ここでは割愛させて頂きます。

ハッキリとした返事をもらえなかった真田信繁は板部岡江雪斎に詫び、待たせていた小山田茂誠に、松が生きている事を伝えます。

鉢形城を落とし、八王子城へ向かっていた真田昌幸には「忍城へ向かうように」との豊臣秀吉からの書状が届きます。
石田三成は、10日経過しても水攻めに必要な堤防も築けずにいましたが、加勢に来た真田勢などいらないと強気です。

そしてついに、小田原城主・北条氏直は髪を落とし、豊臣秀吉に降伏・開城しました。
当初は北条家の面々を生かす事を認めていた豊臣秀吉でしたが、伊達家も臣従し、もう怖いものは無いとして、徳川家康らの反対を押し切り、北条氏政には切腹を命じます。

生き恥は晒したくないと言う北条氏政に対して、徳川家康は上杉景勝や真田昌幸らも小田原に呼び寄せて北条氏政に「生きるよう」説得します。
しかし、切腹した北条氏政の首は京へと送られたのです。
北条氏直は高野山へ蟄居となり、大名としての北条家は滅亡しました。

真田信繁は小田原城に入った際に見つけた「鉛」に、千利休の刻印があるのを大谷吉継に報告します。
千利休は北条家にも鉄砲の玉となる鉛を売っていた疑いが高まりました。

一方、小田原城が開城したあとも、忍城は籠城を続けており、小田原から戻った真田昌幸が一計を講じて忍城を説得し開城させました。

その後、豊臣秀吉は宇都宮城にて「奥州仕置」を行うと、伊達政宗は自ら所領のすべてを豊臣家に差し出します。
真田昌幸は、徳川家康・上杉景勝・伊達政宗と組めば、大阪城も攻略できると考えていただけに、これには失望します。

伊達家は会津は召し上げられるも米沢城などは安堵。
真田家も沼田城が返還され、徳川家の与力も解任され、逆に上田城から関東の徳川家を見張るように命じられます。
こうして、豊臣秀吉は名実ともに天下人となったのです。

豊臣秀吉の小田原攻め~大軍にて小田原城を包囲した名だたる籠城戦
北条氏政【詳細版】~小田原城主・関東覇者への道のり
板部岡江雪斎~北条3代に仕えた外交僧であり和歌や茶道を好む風流人
上杉景勝(詳細版)~豪毅果断・潔白謹厳な武将
石田三成の忍城水攻め采配と智略
忍城~高源寺~丸墓山古墳~石田堤の訪問記(成田家探訪)
八王子城落城の悲劇 (八王子城の戦い)と横地監物館跡
小田原の役と八王子城の戦い
猿飛佐助とは【真田丸の佐助】上月佐助・横谷庄八郎・三雲佐助賢春 実在の人物か?
小山田茂誠【小山田重誠】とは~真田家を頼った小山田一族
伊達政宗【詳細年表】~独眼竜・伊達政宗
大谷吉継の雄姿~関ヶ原の戦いでも石田三成に加勢
千利休(千宗易)~わびさびの茶で調べる信長・秀吉の茶頭
小田原城とは~戦国時代の北条家遺構と総構え、江戸時代の遺構 訪問記

25回と26回のあらすじはこちら

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コメント

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  1. 2016年 5月 21日

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