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真田幸村にござりまする。
本日は、ワシの兄弟の話をしたいと存じまする。
さて、私・真田幸村は、父・真田昌幸の2男でございまする。
兄が、のち松代藩主となった真田信幸(真田信之)なのですが、真田の兄弟と言うと、その兄と私だけに思われている節があるようです。
しかし、実は、弟がおりました。
そうなのか?
ワシはしらんかったぞ。
これは豊臣秀吉様。
ごきげんうるわしゅう。
実は弟が2人いたのでござりまする。
1人は真田信勝、もう1人は真田昌親でございます。
私も詳しい事はわからんのですが、母が違う異母兄弟にございます。
よって、戦国の歴史にも、この弟たちはあまり登場しないしないのでございます。
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でも、真田家一族として、関ヶ原の戦いに参戦したり、徳川秀忠様に従ったりと、ちょっとは活躍しておるのです。
例えば、真田信勝は1605年2月、徳川秀忠の上洛に従大番組として従っています。
大番組と言うのは旗本で、警護を担当する精鋭でござります。
一方、真田昌親は兄・真田信之と共に関ヶ原の戦いでは徳川家康殿についており、ワシらが九度山に蟄居した際には、松代から生活費をわざわざ届けにきてくれたこともあるのです。
ただ、私も関ヶ原以降は14年も九度山におりましたので、弟たちの詳しい同行は、よくわかりません。
我ら真田家の家族についてはこちらをご覧くだされ。
以上、ネタがだいぶ尽きかけておるが、質問などでも良いので何かあったら、下記へのコメント投稿、お願い申しまする。
それでは、次回もお会い致しましょう。
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