女性陶芸家「神山清子」さんとは 朝ドラ「スカーレット」戸田恵梨香さんが演じる川原喜美子のモデル

 
神山清子

NHK連続テレビ小説「スカーレット」で取り上げることになり、女優の戸田恵梨香さんが演じる川原喜美子は、女性陶芸家は神山清子さんと言う実在する女性の半生を参考にして、朝ドラが制作されるようです。
川原喜美子のモデルやモチーフとなる、日本の女性陶芸家の草分けである神山清子さんをご紹介させて頂きます。

女性陶芸家・神山清子(こうやま-きよこ)さんは、1936年8月2日に長崎県佐世保市で生また、3人兄弟の長女です。
父の仕事の関係で幼いころは転々としたとあります。
父親は炭鉱の現場監督だったむ頃もあり、一緒に働いてた朝鮮人をかばって、重労働に耐えかねて脱走を図った朝鮮人を助けようとたため、戦争中には警察に目をつけられて、家族で逃げ出したこともあったと言います。
その後、朝鮮人らの手助けを得て、1944年9月遠く滋賀県の日野にたどり着きました。

1947年、11歳のときには、日本六古窯のひとつ・信楽焼で有名な滋賀県甲賀市信楽に移り住んだそうです。
そして、中学校を卒業すると和洋裁学校に進学しましたが、幼いころから絵を描くのが好きだったため、陶器の絵付けする助手として、信楽の陶器会社で働き始めました。
この頃、暖房器具の火鉢は飛ぶように売れ、信楽は全国シェア8割を占める最盛期だったようです。



絵を褒めてくれる1つ上の先輩と交際すると、神山清子さんは21歳のときに結婚しました。

しかし、石油ストーブや、家電製品が普及し始めると、火鉢の売れ行きが悪くなります。
神山清子さんは、27歳のとき(1963年)、一大決心して、自宅に半地上式穴窯・寸越窯といった古代穴窯の工房を作って独立しました。
効率重視の「登り窯」ではなく、古代の陶工のように、山の斜面をくりぬいた「穴窯」を採用したと言う事になります。

子どもの泥遊びのように、心の赴くまま、手の動くまま、従来の信楽焼の枠にはない、ユニークな作品を生み続けました。
30歳の頃、知人に勧められて公募展に出品すると、入選を果たし、まだ珍しかった女性陶芸家として、全国に知れ渡りました。

ただし、会社を辞めて陶芸家として独り立ちした夫は、女遊びに手を出すなどして、1974年頃に離婚したようです。
離婚してお金がないと、弟子から借金し、子どものお年玉も使い込み、パンの耳を食べるなど、貧乏の中でも、すべてを研究と実験につぎ込んだと言います。
そして、ついに、独特の焼成方法である「信楽自然釉」作品を生み出します。
自然釉と言うのは、陶土の長石成分(ガラス質など)と、窯焚きの薪の「灰」が化学反応を起こして、絶妙な色調であるガラス質の緑色したビードロ色が出ると言うと、わかりやすいでしょうか?
下記が、実際の信楽自然釉になります。(参考までに)


信楽 自然釉瓶

そして、神山清子さんは1975年(39歳)に「信楽自然釉」を発表しました。
女性が窯場に入ると「穢れる」と言われ、窯焚きをする女性がいなかったなか、先駆者となり、現代日本陶芸展、朝日陶芸展などにも入選なさっておられます。

2004年には映画・火火(ひび)のモデルとなった女流陶芸家と言う事になり、放送開始時点では83歳になります。

この実話をもとにした映画のあらすじ・ストーリー(物語)としては下記の通りになります。



神山清子さんは、まだ女性の陶芸家が認められていなかった頃から、古代穴窯を使った信楽自然釉の復活を目指して陶芸に打ち込みます。
そんな彼女を見捨てて、夫は愛人と家を出ていってしまいました。
収入が途絶えた神山清子さんは2人の子供をかかえ、極貧生活を強いられますが、陶芸への夢が彼女を支えます。
神山賢一は母と同じ陶芸の道を志し地元の高校へ進学します。
度重なる失敗を繰り返しながらも、見事な信楽焼を完成させた神山清子は、陶芸家として認められるようになりましたが、そんな幸福もつかの間、賢一が病魔に倒れてしまいます。
清子は陶芸に注いでいた情熱を、今度は骨髄移植の実現に向け奔走しますが、身内や友人・知人にも白血球の型が一致する人間はみつかりませんでした。
まだ公的な骨髄バンクが発足していない時代に、広く骨髄ドナー登録者を募る運動を開始しましたが、約2年後、神山賢一は31歳の若さで亡くなっています。
ここまでが、概ね、映画での内容となりますので、ドラマでもそんなに変更せずに描かれるのではないかと存じます。

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