小松暢さんをわかりやすく2分で解説【朝ドラ・あんぱんのヒロイン「朝田のぶ」のモデル女性】やなせたかしさんの妻

小松暢さんをわかりやすく2分で解説【朝ドラ・あんぱんのヒロイン「朝田のぶ」のモデル女性】やなせたかしさんの妻

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小松暢さんとは?

小松暢(こまつ のぶ)さんは、アンパンマンの原作者である、やなせたかしさんの奥様。
2025年前期(2025年4月スタート)のNHK連続テレビ小説(朝ドラ)「あんぱん」では、この小松暢さんをモデル(モチーフ)とした主人公(ヒロイン)としてドラマが放送される。
ドラマ「あんぱん」での役名は朝田のぶ。


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小松暢さんは1918年(大正7年)生まれ。
のちに夫となる柳瀬嵩さんは1919年2月生まれの為、同学年であったと推測される。

朝ドラでの朝田のぶは「ハチキン」と称されているが、ハチキンとは、土佐弁で男勝りの女性のこと。

下記はXにある情報を公式な方法で共有表示したもので、小松暢さんの顔写真なども見られる。

出征していた中国から帰国した柳瀬嵩(やなせたかし)さんは、昭和21年(1946年)に高知新聞社に入社し、月刊・高知の漫画・表紙絵などを担当。
このとき職場の同僚だった小松暢さんと出会った。
一緒に「キノコ鍋」を食べた際に、柳瀬さんが食中毒となり、小松さんが献身的に看病したとも。

昭和22年(1947年)に、小松暢さんが転職して上京すると、柳瀬嵩さんも退職して後を追うかのように上京。
そして2人は結婚した。(ふたりとも28歳くらい)
小松暢さんは「収入がなければ、私が働いて食べさせてあげるから」と語っていたと言い、漫画家を目指す柳瀬さんを支えていたようだ。
柳瀬嵩さんは三越百貨店に入社し、グラフィックデザイナーとし社内報などの絵を担当する傍ら、漫画も書き新聞や雑誌で発表を続ける。
やがて漫画での収入が増えたことから小松さんの後押しで、1953年(昭和28年)三越を退職し、34歳で専業の漫画家になった。
なお、お二人の間にお子様はいませんが、やなせさんは後年に「アンパンマンが2人の子供のようだ」と語っておられる。
また柳瀬さんは「仕事以外はすべてカミさんに頼っていた。散髪も彼女にしてもらったし、病気になると全力で看病してくれた」と奥様の事を語っている。


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1973年(昭和48年)、絵本「あんぱんまん」を発表。
1975年(昭和50年)、絵本の続編として「それいけ!アンパンマン」を発刊。
なお「ドキンちゃん」の性格は妻に似ていると、やなせたかし先生は語っているため、気が強い女性だが憎めない可能性がある。
また、小松暢さんは、晩年に「茶道教室」を開いていた。

1988年、絵本を原作としたテレビアニメ「それいけ!アンパンマン」が放送開始され、大人気となった。
この頃、小松さんが「乳がん」となり、余命3ヶ月。
夫人の病床では、アンパンマンのタオルを積みあげて、看護婦さんや見舞い客に配っていたという。
丸山ワクチンによる治療で一時回復するも、1993年(平成5年)に小松暢さんは死去。(75歳)
やなせたかしさんは2013年、94歳没。


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話がそれますが、土佐(高知)での偉人は坂本龍馬が有名です。
また、幕末に土佐藩の家老として倒幕に活躍した小松帯刀(こまつ たてわき)もいます。
小松暢さんとの家系が同族なのか?は確認できていませんが、ちょっと気になりました。

連続テレビ小説(朝ドラ)「あんぱん」でのヒロイン「朝田のぶ」は、小松暢さんがモデル(モチーフ)。
ドラマの内容は脚色されたフィクションとなりますが、オーディションでヒロイン(主人公)を選出するとの事。
どの俳優さん(女優さん)になるのか?、とても楽しみですね。

あんぱん【キャスト・出演者一覧リスト】あらすじ・ロケ地情報も~NHK朝ドラ

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