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池坊専好とは~花戦さ|キャスト・出演者一覧リスト[東映映画]
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東映の劇場公開映画「花戦さ」(はないくさ)が、2017年6月3日公開予定となりました。
原作は、鬼塚忠さんの小説「花いくさ」で、「生け花」に焦点を当てた戦国時代劇映画となります。
脚本は、2017年のNHK大河ドラマ「おんな城主・直虎」も手掛けている森下佳子さんで、監督は篠原哲雄さん、音楽は久石譲です。
下記にて出演者様をご紹介してみますが、文末には池坊専好とはどのような人物だったのか?をまとめてありますので、よければ合わせてご覧頂けますと幸いです。
主演者・キャスト
※順不同・敬称略
池坊専好–野村萬斎
豊臣秀吉–市川猿之助
織田信長–中井貴一
前田利家–佐々木蔵之介
千利休–佐藤浩市
幼馴染・吉右衛門–高橋克実
兄弟子・専伯(せんぱく)–山内圭哉
弟弟子・専武(せんぶ)–和田正人
天才絵師・れん–森川葵
石田三成–吉田栄作
浄椿尼(じょうちんに)–竹下景子
池坊専好とは
池坊専好(いけのぼう-せんこう)と称された初代・池坊専好は、1594年に、前田利家の屋敷に巨大な砂之物(立花の一形態)を立てたといわれています。
これは、天下人・豊臣秀吉が、前田邸を訪問すると言う事で、前田利家が池坊専好に制作を依頼したものと推定されています。
池坊専好は、大自然の姿を「器」の上に表現すると言う「立花」という様式を受け継いでいました。
この「立花」を形成してきたのは、華道家元である池坊専応と池坊専栄と言う事になる先人です。
池坊の住まいは、京都・六角堂ですが、その地にあった池のほとりで、小野妹子を始祖とする僧侶の住坊が住みついて「池坊」と呼ばれるようになったようです。
その代々・六角堂の住職を務めた池坊は、仏前に花を供える中で室町時代の「いけばな」を成立させた訳です。
茶の席に飾ってあった花を見て、千利休が、池坊専好が入れたものだと見抜いたと言うエピソードもありますが、千利休は生け花の弟子であったとする説もあります。
戦国時代の武士は、たしなみの一つに「生け花」があります。
要するに、生け花の師匠的な存在だったのが、池坊専好と言う事になりますが、前田邸にて披露した大砂物は、幅7.2m、高さ3.5mと巨大なものだったと伝わります。
初代・池坊専好が、座敷飾りの花を担当したのは、文献では2つだけ残っており、1590年9月18日の豊臣秀吉が京都の毛利輝元邸を訪れた時。
そして、1594年9月26日の大阪・前田利家邸の訪問時と言う事になります。
ただし、当時の前田利家の屋敷は、大阪にはなく京都であったことからも、不明瞭な点はありますが、織田有楽斎(織田信長の弟)が全体の指揮をして、池坊専好が大広間三之間の床に、松の大砂物を立てたとの記述もあります。
慶長4年(1599年)9月16日に、京都・大雲院で催された落慶供養「百瓶華会」(ひゃくへいかかい)には弟子100人が作品を飾り、多くの観衆を集めたた、東福寺の月渓聖澄が執筆した「百瓶華序」に見られます。
関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利したあとは、慶長9年(1604年)に江戸の東本願寺御影堂の遷座式で「池坊師弟」が立花を立てたとありますが、これは初代・池坊専好ではなく「弟子」とあるので、二代・池坊専好(池坊専朝)だと考えられているようです。
なお、初代・池坊専好の没年は、元和7年(1621年)で、享年86歳だったと伝わります。
全国ロードショーが楽しみですね。
参考:映画『花戦さ』の主人公“池坊専好”公式WEBサイト
・豊臣秀吉とは~農民の木下藤吉郎が天下を取れた理由と天才野心家の実態
・織田信長と言う人物に迫る~【織田信長】の性格・人柄は?
・千利休(千宗易)~わびさびの茶で調べる信長・秀吉の茶頭
・前田利家【詳細版】~槍の又左と武勇を称されるも、若い頃は浪人など苦労を重ねる
・石田三成とは~律儀で算術が得意だった才ある武将の印象も
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