井上聞多とは 何をした人?


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桂小五郎 桂小五郎でございます。

 今回は、井上聞多殿を取り上げたく存じます。

 さて、井上聞多殿は、私・桂小五郎同様に、のちに「改名」しております。

伊藤博文 伊藤博文ですよ。こんにちは。

桂小五郎 伊東殿、どうも~。

 今、井上聞多(いのうえぶんた)殿の「改名」の話をしていたのですよ。

伊藤博文 井上聞多殿はのちに井上馨と改名なさりましたな。
 そういえば、桂殿も、桂小五郎・木戸孝允にお名前が変わりましたね~。

桂小五郎 その通りですの。
 私の場合はともかく、井上聞多殿の場合は、井上馨と言う名の方が知れ渡っているのではと思います。

 何をした人物なのかと言いますと、長州5傑と呼ばれる山尾庸三、伊藤博文、井上勝、遠藤謹助ら、イギリスに留学しました。


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 当然、海外に行くのは国禁ですので、周布政之助様のご許可を賜り、幕府には内緒でイギリスに渡った訳です。

伊藤博文 あの時は本当に大変でした。
 でも、異国で学べると言うのは憧れでもあったので、皆、勉学に励みました。

 井上聞多殿は、イギリスで大いに学び、その後長州に戻ると、私・桂小五郎をお助け致しましたの。
 特に西郷隆盛殿との薩長連合成立には大きな貢献をしてくださいました。

桂小五郎 その通りですね。
 幕府の第一次長州征伐では、幕府との講和を模索する長州藩・椋梨藤太らの俗論党に襲われて、瀕死の重傷を負った時にはかなり心配しましたが、元気になってくれてよかったです。まさに九死に一生でございました。

 明治維新後は新政府の参与として語学力などを活かし、外交・財政の衝に当り、のち伊藤博文内閣においては外相・内相・蔵相を務められた偉人でございます。 

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