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黒田官兵衛にござりまする。
今日は戦国時代の「合戦」の兵士構成を語ろうかの?
皆の衆の中には、いくさ(戦)は武士と武士が戦ったと思っている者も多いかと思うが、通常の合戦ではそんな事はなかったのぞよ。
「農兵」と言う言葉がある通り、たいていの戦には、村々から長男を除いた成人男子も戦に駆り出されたのじゃ。
しかし、当然、職業軍人と言われる通常の武人も出陣したのじゃが、そうじゃの、割合的には武士が1人だったら、その武士に農兵が3人付き従うと言って良いじゃろう。
すなわち、合戦で戦う75%は「農民」じゃったのじゃ。
当然、農民は最前線で戦わされたからの、討死するもの大半は農民であった。
馬にも乗っていないし、鎧も簡単なものじゃったからケガもしやすかったしの。
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しかも、農民忠臣だったから「田植え」の時期と「稲刈り」の時期に、出陣する事ができなかったのじゃ。
なので、武田信玄も4月辺りと、10月辺りは甲斐におって、その合間で戦をしておる。
そんな不便な戦いしかできなかったのを解消したのが、織田信長様じゃの。
信長様は、農民の2男・3男などを武士として雇って給料を支払い、岐阜城の城下に住まわせたのじゃな。
すなわち「職業軍人」としたのじゃ。当然、それだけの財力(軍事費)もあったと言う事じゃが、季節を問わず出陣することが可能となり、城下に住まわせたことで緊急時の「即応集団」にもなったのじゃな。
農兵を動員するとなると、各地の村に農民は住んでいる訳だから、集合させるだけでも2日間くらいは必要となって、すぐに軍を動員できない。
しかし、戦闘員のほぼ全員が城下に居れば、織田信長様が単騎で出陣しても、すぐにあとから大軍が追いかけて行くことができたのじゃ。
お分かり頂けかの?
さて、ここで、当方の姉妹サイトにて開催中の「戦国武将・大喜利」をご紹介させて頂くでござる。
あまり戦国武将に興味が無い方でも、何か興味を抱くキッカケとなったり、また、戦国武将が好きな方でもより多くの方が、また違った角度から楽しめたらなと思い、戦国武将大喜利を開催しているのです。
しかし、われらの力不足で、なかなか投稿が増えないでござる。
そこで、もし、このページをご覧になられた方がおられましたら、是非、ひとつ腕を振るっては頂けないだろうか?
皆様からの熱いご支援とご投稿、お頼み申しす。<(_ _)>
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