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【みかづき】
2017年本屋大賞第2位となった作品です。
昭和から平成に至る塾と日本社会の変遷を背景に、
ある家族の50年ものの歴史を描きます。
原作の舞台は千葉県のある市ですが、ドラマではどうなるのでしょうか。
学校が「太陽」であるのなら、塾は「月」のような存在だと思うのです・・・・。
(引用元:原作及びドラマトピックスより)
【原作】
森絵都(もりえと)
【放送日時】
2019年1月26日(土曜)午後9時(連続5回) 土曜ドラマ
第5回(最終回):2月23日(土)
第4回再放送:2月21日(木)午前1時(水曜深夜)
第5回再放送:2月28日(木)午前1時(水曜深夜)
【放送チャンネル】
NHK総合
【制作スタッフ】
(順不同・敬称略)
<脚本>
水橋文美江
<音楽>
佐藤直紀
<演出>
片岡敬司(NHKエンタープライズ)ほか
<制作統括>
陸田元一(NHKエンタープライズ)、
黒沢淳(テレパック)、高橋練(NHK)
【主要キャスト】
(順不同・敬称略)
大島吾郎(おおしまごろう)⇒高橋一生(たかはしいっせい)
<しょうがっこうの用務員だが天才的教師。半世紀を演じる。>
赤坂(大島)千明(あかさか(おおしま)ちあき)
⇒永作博美(ながさくひろみ)
<シングルマザー。
戦中の国民学校の教育に反発し、
塾に新しい教育の可能性を見出す。半世紀を演じる。>
上田一郎(うえだいちろう)⇒工藤阿須加(くどうあすか)
<吾郎と千明の孫で長女・蕗子の息子。
バイト先で塾に行けない子供に出会い、教育への情熱に目覚める>
大島蘭(おおしまらん)⇒大政絢(おおまさあや)
<大島家の次女。千明の精神を受け継ぎ、塾経営に意欲を燃やす。
個別指導塾が成功するも挫折。高齢者向けの宅配弁当経営に転進する>
蘭(少女時代)⇒蒔田彩珠(まきたあじゅ)
<中学時代の蘭。校則で禁止されているパーマをかけた>
大島菜々美(おおしまななみ)⇒桜井日奈子(さくらいひなこ)
<大島家の三女。
千明に反発するが、カナダに留学してツアーコンダクターとなる。
千明の病を機に日本に戻り、一郎の活動のサポートを申し出る>
菜々美(少女時代)⇒小菅汐梨(こすげしおり)
<第2話で登場した。こたつでみかんを食べていた>
勝見正明(かつみまさあき)⇒勝矢(かつや)
<個人で塾を開いていたが、吾郎と千明と意気投合し、共同で塾経営をする。
ふたりの一番の理解者>
国分寺努(ろくぶんじつとむ)⇒六角精児(ろっかくせいじ)
<大きくなった千葉進塾で講師として働くもやがて事務方に回る。
最後まで吾郎と千明を支え、一郎の活動も支援>
一枝(かずえ)⇒壇蜜(だんみつ)
<吾郎の行きつけの古書店員。
スホムリンスキーに関する著作の執筆を勧め、吾郎の成功を支える。だ
家庭を思い切れない吾郎に最後通牒を突きつける>
井上阿里(いのうえあり)⇒岡本玲(おかもとれい)
<著作を読んで吾郎に憧れる教育学部の大学生。
孫である一郎に興味を抱き、塾に行けない子供たちに勉強を教える活動に協力。
一郎を時に励まし、叱咤する>
上田(大島)蕗子(うえだ(おおしま)ふきこ)⇒黒川芽以(くろかわめい)
<大島家の長女。実の母の千明としばしば対立。
血のつながらない父である吾郎を慕っている>
泉(いずみ)⇒須賀健太(すがけんた)
<蕗子と付き合っている>
蕗子(ふきこ)・少女時代⇒鎌田英怜奈(かまたえれな)
<蕗子の子供時代>
永澤寛子(ながさわひろこ)⇒小柳友貴美(こやなぎゆきみ)
<上田一郎が弁当を届けている老婦人>
浅田美鈴(みすず)⇒田牧そら(たまきそら)
<寛子の処にやってくる小5の少女。
やがて一郎が勉強を教える>
赤坂頼子(あかさかよりこ)⇒風吹ジュン(ふぶきじゅん)
<赤坂千明の母。千明の夢を精神的、金銭的にバックアップ。
塾でも家庭でも個性的な家族をつなぎとめる扇の要のような存在>
<第1話>
山田校長(やまだこうちょう)⇒螢雪次朗(ほたるじろう)
<小学校の校長先生>
平太(へいた)⇒菊井りひと(きくいりひと)
<蕗子のクラスメイトで0点ばかりだったが
吾郎により100点をとるようになる>
明美(あけみ)⇒黒田こらん
幸子(さちこ)⇒横内亜弓(よこうちあみ)
美智子(みちこ)⇒曽我夏美(そがなつみ)
<千明が家庭教師をしている歯科医の娘>
芙美子(ふみこ)⇒田山由紀(たやまゆき)
<子供の保護者>
<第2回>
小川(おがわ)⇒平山裕介(ひらやまゆうすけ)
<建設業を営み、武の父親。塾に通わせるも
家業が傾き、通わせるか危機になってしまう>
武(たけし)⇒大竹悠義(おおたけはるよし)
<25点から85点まで成績が上がり勉強の楽しさを知った子供>
清(きよし)⇒吉成翔太郎(よしなりしょうたろう)
<塾生>
<第2回・3回>
清のお母さん⇒阿南敦子(あなんあつこ)
<塾生の親>
<第3回~>
杉京子(すぎきょうこ)⇒東加奈子(ひがしかなこ)
<塾で働く>
<第4回>
小笠原(おがさわら)⇒阿南健治(あなんけんじ)
<古参の教員、稲毛校>
喜田(きだ)⇒中林大樹(なかばやしたいき)
<塾の事務局員>
岩村(いわむら)⇒歸山竜成(きやまりゅうせい)
<塾で隠れて漫画を読んでいた小学生>
(引用元:「みかづき」公式サイトより)
【あらすじ】
昭和30年代。
小学校の用務員でありながら
落ちこぼれの子どもたちに勉強を教えるようになった大島吾郎。
学校教育に不信を抱き、
塾に自由で豊かな教育の可能性を見出す赤坂千明。
個性の異なるふたりが公私ともにタッグを組み、
塾業界に新たな歴史が生み出されていきます。
あくまでも「補習」にこだわる吾郎と
「進学塾」に転身しようとする千明の間には、
やがて、大きな亀裂が生じていきます。
昭和から平成の塾業界を舞台に、吾郎と千明、
その子供たち、そして孫の代と三世代にわたり奮闘した
ある一家の物語です。
(引用元:「みかづき」公式サイトより)
原作では「ゆとり教育」の正体と目的も描かれていましたが、
ドラマ版ではどうなるのでしょうか?
そこは原作に忠実に描いてほしいと思うのですが・・・。
【第1話・あらすじ】
職試験に落ちアルバイト生活する一郎は、
伝説的塾講師だった祖父・大島吾郎と
塾経営のパイオニアだった祖母・千明の存在が重圧で、
教育の仕事に携われずにいました。
そうした中、授業に落ちこぼれ、
塾にも通えない子供の存在を知り、心を動かされるのでした。
そんな時、一郎は吾郎から「みかづき」という新しい著作の原稿を渡されます。
そこには昭和36年から半世紀にわたる吾郎と千明、
そして家族と塾の歴史が記されていたのでした。
(引用元:「みかづき」公式サイトより)
【第1回・その他の出演者】
佐野剛・伊藤駿太・杉山未央
今井暖太・川上広高・川上凛子
入江環太・上野蒼真・岩崎瑛太郎
髙木勇馬・中薮昭成・原田敬太
【第2回あらすじ】
昭和39年。
吾郎と千明が始めた塾の経営は軌道に乗る一方、
塾批判も広がり始め、長女・蕗子がいじめにあってしまいます。
そうした中、大手塾の進出に危機感を抱く千明は、
生き残りのため個人塾同士の合併による経営拡大を目指していました。
合併相手の勝見と意気投合した吾郎でしたが、
塾経営拡大には反対だと千明に告げ、
ふたりの考えの違いも明らかになるのでした。
そこに蕗子が姿を消すという事件が起きてしまいます。
(引用元:「みかづき」公式サイトより)
【第2回・その他の出演者】
木村文哉・安山夢子・知久杏朱
長谷川ほのか・筧礼・柳下晃河
【第3回あらすじ】
古書店の店員である一枝から
ソ連の教育者・スホムリンスキーの著作を紹介された吾郎は、
塾の合間をぬって著作の執筆に没頭します。
その陰に一枝の存在を感じた千明は気が気ではありません。
吾郎の著作はベストセラーになり、塾はさらに大きくなって千葉進塾となります。
一方、成長した蕗子の恋愛は千明の反対もあって破綻します。
千明の母・頼子も不治の病に冒されてしまい、
塾の拡大と裏腹に、家庭は危機をはらみつつあったのでした。
(引用元:「みかづき」公式サイトより)
【第3回・その他の出演者】
星奈優里・宇井晴雄・瑞木健太郎
藤田記子・本田あやの・住吉史衣
八代みなせ・松本新の介・石井凛太朗
【第4回あらすじ】
吾郎が去った後、千明(永作博美)は津田沼に自社ビルを建設しました。
生き残り競争が激化する中、千葉進塾は発展を続けます。
しかし家庭では次女の蘭が千明の経営に異を唱え、
三女の菜々美は塾通いも進学も拒否してしまい、
反抗的な態度で千明を悩ませていました。
さらにストライキを起こした古参教員・小笠原から、
「今の千葉進塾には吾郎が描いた理想はない」
と言われた千明は、孤立感を深めるのでした。
(引用元:「みかづき」公式サイトより)
【第4回・その他の出演者】
宇井晴雄・岡村航・永嶋柊吾
岩崎楓士・黒沢リコ・川原瑛都
【第5回(最終回)あらすじ】
千明は「塾による学校経営」という新たな夢を抱いていました。
しかし次女・蘭の個人指導塾で不祥事が発生します。
責任を感じて経営の一線から身を引くのでした。
そして平成19年、家族に見守られて生涯を終えました。
塾教育と歩んだ千明との年月を吾郎が綴った
「みかづき」を読み終えた一郎は、
子供たちへのボランティア授業に共鳴してくれた
阿里に背中を押され、手応えを感じ始めるのでした。
(引用元:「みかづき」公式サイトより)
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【原作を読んでみて自分の事情との比較(ネタバレご注意かも?)】
文庫本を購入して読みました。
丁度、子供が受験生で塾通いしていることもあり、
塾に対する関心もありました。
最も、物語は私世代の塾事情から描かれているので、
中学3年生の春まで地方にいた私にとっては塾は遠い存在でした。
<私の頃の事情・塾とはほぼ無縁>
地方在住者にとっては自宅学習が当たり前でした。
それでも、親が国鉄勤務で、
子供の成績と親の出世が不思議と関連付けられていたので、
親も頑張っているのだからと、
子供も当たり前の様に小学生から勉強に対しての意欲がありました。
今、思い返すと不思議ですが、そうした時代だったのでしょうね。
また、各教科の参考書・英和及び英英辞典、
国語辞典、通信教育等の教材は、
私は次女でしたので、
「もったいない」という両親の考えの元、
教材の大半は姉のお下がりでした。
それでも、中学2年の2学期の中間テストまでは、
中の上~上の下付近の順位でした。
なるべく、授業中に理解することと、「予習」を行っていました。
それでも、2学期の期末試験辺りになると、
周囲が本気モードに入っていき、
対して、自分自身としては、
父親の末期がんの進行と余命のカウントダウンで、
母は病院に寝泊まりするようになって、
家を空けることが多くなり、
私は言葉に出来ない不安が大きくなり、
成績は中以下に落ちていきました。
でも、姉が大学受験でもあったので、
塾通いは勿論、参考書や問題集の類は何一つ買ってもらえず、
いや、言い出せるわけもなく、
少ないお小遣いをためて購入していました。
中学3年生の4月の中頃に、
母の実家を頼って、仙台市から神奈川県に越してきましたが、
神奈川県独自の高校入試システムを全く知らず、
かなり苦労しました。
父が他界し、環境もがらりと変わり、
姉の大学受験・浪人生活で、私の高校受験どころではなく、
3年生の1学期の成績はぼろぼろで
中学入学以来のかつてないひどさでした。
2学期に入り、新しい環境にもようやく慣れてきて、
比例するかのように定期テストの点数も良くなり、
学区内で上から2番目の高校だと安全圏、となりました。
模試も受けてみて手ごたえを感じだした頃でした。
学区で1番の高校も不可能ではないけれど、
「アチーブメントテスト」を受けていないので、
当日の入試は「ほぼ満点」が合格の条件だと言われました。
が、母親からは、高校に入ったら、
家事全般は私が担うことになるから、
家から一番近い高校でないとだめ!と言われ、
せっかく、成績が上がったのに、
家から最も近いという理由だけで、
安全圏となった高校からは、ランク的には、
2ランク下の高校に行くように言われてしまいました。
当時の神奈川県の公立高校の入試は、
中学校の内申点でほぼ決定するような感じでしたので、
定期テスト対策の勉強をしていればよく、
日々の塾通いをしている中学生は、
進学校を目標にする場合を除き、
まだそれほど多い方ではありませんでした。
公立の有名な進学校が多い地域でもあり、
それらの進学校を目指す子も多かったです。
それでも、自宅から通える範囲の地元の塾に通っていた子が多かったです。
ですが、私の下の世代の「団塊ジュニア」あたりからは
事情が変わってきたようでした。
姉は地方の進学校で女子高でしたのでそれは平和な学校でした。
なので、母親は「公立高校なんてどこも同じ」という位の
認識しかありませんでしたが、
それは大きな間違いでした。
高校に入って驚いたのは、授業の内容が、
中学校の復習からだったのです。
それでも真面目に聞く生徒はほんの少数で、
授業中にもかかわらず、教室内はディスコでした・・。
私の本格的な塾デビューは高校生からでした。
でも、日々の授業をきちんと理解したうえでの
大学受験の塾・予備校でしたので、
そもそもレベルが違いすぎました。
なので、高校の基礎部分はほぼ独自で
勉強するほかありませんでした。
高校選びはとても大切です。
そしてそれは、今、子供の時代で更に白熱しています。
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<子供世代の塾事情>
まず驚いたのが「幼児教育」の存在とその種類の多さでした。
でも、乳幼児から通わせるのは親子共に負担が大きいので
家で出来る教材を試してみましたが、
そもそも「幼児教育」には子供自身の向き不向きがあり、
私の子供は全く不向きでした。
ある時、フラッシュカードを取り上げ、
何と食べ始めてしまったので
「幼児教育」は止めました。
名残?としてはその場での記憶力は良いのですが、
すぐに忘れてしまうのであまり効果はないかもしれません。
また、英語ですが、
リスニング以外は全くダメで、文法は毛嫌いする程でした。
(最も今は受験生なので何とか文法も理解できました)
今、神奈川北部に住んでいますが、
幼稚園の親子の3分の1は「小学校お受験」でした。
「小学校お受験」塾は、独特のネットワークがあり、
有名小学校に合格した子供は、
たいてい「紹介制」で入塾して
通っていました。
小学校お受験の次は、中学校受験です。
中学受験の塾は、それこそ宣伝も流れていて、
誰もが聞く塾に通っている子供が多かったです。
子供のクラスの3分の1が中学受験をしたようですが、
その多くが公立の中高一貫校だったようです。
公立の中高一貫校と私学中学校とでは
受験勉強の対策が異なるらしく、
公立の中高一貫校に落ちた子は
普通の公立の中学校への進学が殆どでした。
中学受験は、女子の場合は小3から準備を始める場合が多く、
中学受験をするか否かのタイムリミットとして、
小4になった時点で
・お小遣い帳をきちんとつけて親にみせているか
・自分の部屋の片づけを自主的にしてかつ整理整頓されているか
と聞いたことがあり、
二つともクリアしていなかった私の子供はこの時点で
中学受験は諦めました。
勿論、本人も中学受験には全く興味を示しませんでした。
ちなみに・・・自分の話になりますが、
私は小学校入学時に、郵便局で通帳を作り、
自己管理していました。
そのうち、定期預金するようになり、
部屋の片付けも、姉と共同で使っていましたが、
姉のエリアまでお片付けをしていました。
親子はたいてい違うのですよね・・。
中学時代は塾通いどころか教材もままならず、
自宅で独自に勉強していた私と違って、
子供は家庭での勉強だけでは到底成績が上がりませんでした。
そもそも勉強にあまり興味がなく、
競争心も向上心もそれほどないので、
中1の冬休みからは
それまで通信教育をしていましたが、
いよいよ塾に通うことになりました。
教科は、数学の個別でした。
小学校から通信教育をしており、
理科と社会は出来ていたのですが、
肝心の英語・数学・国語がひどい有様でした。
数学はまだしも、
中学の英語は少なくとも自分は、
勉強すればするだけ成績が上がり、
国語は元々得意でしたので、
子供が、何故こうも出来ないのかが
逆に不思議でなりませんでした。
国語が出来ない理由の一つには、
読書をしないことにあるかもしれません。
中2からは英語も、
中2の三学期からは国語を増やして、
尚且つ個別からクラスへの変更、
中3からは理科、
中3の夏休みからは5教科にしました。
学校の定期テストはそれなりの点数は取るようになりましたが、
皆もそれは同じであり、
100点満点中95点以上は取らないと「4」は難しいです。
最も今は、テストの点数だけではなく、
発言が多いとか、声が大きくはきはきしているといった
「意欲」や「生きる力」も重要視されるようです。
塾では教わらない分野ですね。
ちなみに、提出物は中3では今のところ全て最高評価です。
現在、神奈川県立高校の学区はなく、
県内すべてが一つの学区となっています。
従って、かつての学区内の進学校に、
地元の中学生がなかなか入れない、といった事が起きています。
公立第一という考えも昔よりは薄れて、
近くの設備の整った私立か、遠くの古い設備の公立か・・・
これは結構悩ましいです。
しかも、中堅公立校でも大学に進学したい場合は、
指定校推薦でも塾通いは必須です。
私の子供の場合は、中学入学と同時に、
塾のクラスでしっかりと5教科を受けさせれば良かった、と
今は後悔しています。
模試の場合は、解き方に工夫が必要なので、
しっかりと解き方を教わる塾通いの子の方が有利になります。
とはいえ、
逆に、塾通いをやめて自宅学習にした途端に、
ぐんと内申が上がり、結果を出している子もいるので、
子供の適性に応じた対応が必要なのでしょう。
中の中までは問題なくいけるのですが、
その上がなかなか難しいですね・・。
元々の頭の出来もあるのでしょうけれど、
自分の時代よりはるかに勉強しているのに、
中々結果が出ないというもどかしさはあります。
逆に、現在はここまで高校受験が大変なのかもしれません。
<吾郎役の髙橋さんと千明役の永作さん>
原作を読んでみて、最初から吾郎役=高橋一生さん、
という図式が出来上がりました。
外見の飄々としたおと雰囲気とは裏腹に、信念を持ち続け、
愛情豊かで・・・エロティックな吾郎は高橋さんにぴったりでした。
そして千明役の永作さん。
吾郎よりもかなりの年上で、
分かりやすい強さを前面に出す千明。
それでいて、決して妥協することなく、
常に挑戦し続ける若さを持つ役はこれまた、
年齢不詳の若々しさを持つ永作さんに合っているな、と思いました。
出演者に風吹ジュンさんの名がありますが、
もしかして千明の母役なのでしょうか?
だとしたら、本当の親子みたいで、楽しみです。
千明の母・頼子(原作)もいろいろなものを背負いながらも、
激動の時代を生き抜いて、娘の千明を育て、
孫たち、そして義理の息子となる吾郎を見守り続けた女性です。
壇蜜さんは、やはり、吾郎と千明との間に、
〇を作るきっかけとなった役かな?
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