3分でわかる黒柳徹子さんの功績~トットちゃんの生い立ち

黒柳徹子

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黒柳徹子(くろやなぎ-てつこ)さんの「タマネギ頭」と称される髪型と、その名を知らない日本人はいないくらい、大活躍している女優さんです。
肩書も声優・タレント・エッセイスト・司会者・ユニセフ親善大使・日本パンダ保護協会名誉会長などたくさんあります。
そんな黒柳徹子さんに関して、できる限り簡潔にご紹介してみたいと存じます。

昭和8年(1933年)8月9日に東京府東京市赤坂区(東京都港区)乃木坂で生まれた黒柳徹子さんですが、父は> NHK交響楽団のコンサートマスターも務めたヴァイオリニストの黒柳守綱(くろやなぎ-もりつな)さんです。
母は声楽家でエッセイストの黒柳朝(旧姓:門山朝)(くろやなぎ-ちょう)です。
母の黒柳朝は、北海道滝川市の開業医が実家で、高校卒業して上京すると東洋音楽学校(東京音楽大学)の声楽科に入学しました。



そして、在学中にベートーヴェンの『第九交響曲』の演奏会で知り合った、新交響楽団(NHK交響楽団の前身)の首席ヴァイオリン奏者・黒柳守綱と出会い結婚しました。
新婚当初はアパート「乃木坂クラブ」にて生活を始め、長女・黒柳徹子、長男・明兒、二男・黒柳紀明、二女・黒柳眞理を設けていますが、長男は敗血症で早世しています。

黒柳徹子さんの名前は、男児が生まれると考えていた両親が誕生前に「徹」(とおる)という名前を考えていたため、「子」をつけて「徹子」となったと言います。
母の朝のことは「チョッちゃん」と呼ばれ、のち1987年にNHK連続テレビ小説『チョッちゃん』としもドラマ放送されています。
徹子のことは「トットちゃん」と呼ばれ、のち800万冊と言う戦後最大のベストセラーである『窓ぎわのトットちゃん』も著作しています。

お嬢様育ちである黒柳徹子さんの幼少期は、注意欠陥・多動性障害・学習障害などとも考えられる落ち着きのない問題児だったようで、尋常小学校(公立小学校)に入学しても1年生の途中で退学となっています。
そのため、小林宗作校長のトモエ学園と言う私立校に転校しました。
叔父がアメリカからのおみやげとして「パンダのぬいぐるみ」をプレゼントしたことからも、パンダの保護活動に繋がっています。
1944年に父が出征し、第二次世界大戦が激化して東京大空襲となると、以前に北海道の実家から帰る途中の汽車で出会った、青森の農家との縁で、青森県三戸郡(南部町)の諏訪ノ平に疎開しています。

東京に戻り、自宅を再建すると、黒柳徹子さんは香蘭女学校、東洋音楽学校(東京音楽大学)の声楽科を卒業し、慶應義塾大学文学部では聴講生として学びました。

そして、昭和28年(1953年)2月1日に 日本放送協会(NHK)のテレビ放送開始された際に、テレビ女優の第一号のひとりとして、日本放送協会に入局しました。
NHKではNHK放送劇団、文学座研究所を経て、テレビ女優の第一号としてデビューを果たしています。
女優の志望動機は、母親になった時に、子供に絵本を読み聞かせられるようになりたかったと言う理由からで、採用面接の際には、親からみっともないからやめなさいと言われたなどと話したようですが、独特の声と端麗な容姿によって採用されたようです。



1954年には、NHKラジオ第1で放送されたラジオドラマ『ヤン坊ニン坊トン坊』にて主演の声優を務めましたが、日本のラジオドラマ史上初めて、大人の女性が子供の声を演じた番組となりました。

1958年の『第9回NHK紅白歌合戦』では、紅組司会を務め以後、通算で5回も紅白の司会を担当しました。

テレビ朝日『徹子の部屋』の司会も務めている黒柳徹子さんですが、1976年から放送されている長寿番組となっています。

アメリカの『タイム』、『ニューズウィーク』、『ニューヨーク・タイムズ』、『ヘラルドトリビューン』、『ピープル』などにて、日本を代表する女性として紹介されたこともあります。
結婚せずに独身を貫き、2017年現在、84歳となった黒柳徹子さんですが、まさに日本のドラマ創世記の立役者であり、日本の宝です。
末永くお元気でいて欲しい方でございます。

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