桂歌丸さん死去81歳【略歴】横浜の遊女屋にて生まれる?

桂歌丸

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落語家・桂歌丸さんが2018年7月2日、午前11時43分、慢性閉塞性肺疾患のため、横浜市内の病院にて死去しました。
81歳。
桂歌丸(かつら-うたまる)さんは、横浜市出身で、本名は椎名巌(しいな-いわお)さんと言います。
妻は、椎名冨士子さんです。

この記事では、桂歌丸さんの略歴をご紹介したいと思います。



【略歴】(敬称略)

桂歌丸さんは、1936年8月14日に、横浜市で生まれました。
父は、横浜市中区真金町の遊女屋(妓楼)「富士楼」の長男・椎名貞雄で、母は千葉県市原市瀬又出身の農家の娘・伊藤ふくとなります。
そのため、遊女屋で生まれたと自著でも綴っています。

1951年、歌丸さんは当時高価だったラジオの落語放送に夢中になり、中学3年生の秋に、五代目・古今亭今輔に入門し、噺家(はなしか)を目指しました。
1957年、4歳年上の冨士子さんと結婚。横浜の生家の向かいの蒔絵師の末娘で、周囲の反対に対し「噺家としてのあの人にかけてみる」と説き伏せたと言われます。
1957年 師匠の今輔との関係がこじれたため事実上の破門状態になり飛び出します。
その後、生活費を稼ぐため、夫人と一緒にポーラ化粧品のセールスマンをしたり、小さなメッキ工場で働いたこともありました。
1961年、桂米丸門下となり、桂米坊と称します。
1964年1月に、桂歌丸と改名しました。高座では「歌がまるで歌えないから歌丸になった」と説明していたと言います。
1965年、日本テレビ「笑点」の前身番組となる「金曜寄席」がスタートしメンバー参加。司会は立川談志。
1966年5月、「笑点」がスタートし、桂歌丸は大喜利メンバーとなりました。
1968年、真打昇進。
真打(しんうち)と言うのは落語家最高の身分で、最も力量がある者だけがなれ、トリを務める権利を有することになります。

1979年、落語芸術協会理事に就任。
1999年、副会長。
2004年、五代目の会長に就任。

2005年、芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
2006年5月、「笑点」五代目司会者に就任。番組40周年を機に、5代目三遊亭円楽が勇退しました。
2007年、旭日小綬章受章。

2016年(平成28年)4月30日、体力の限界を理由に笑点の司会を引退発表し、5月22日放送「笑点 歌丸ラスト大喜利スペシャル」を最後に勇退しました。
2018年(平成30年)7月2日死去。満81歳没。
死因は慢性閉塞性肺疾患。

ユーモアたっぷりで、皮肉っても、根心は悪くないと申しましょうか、常に周りを「笑顔」にする落語家さんでした。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。



一門弟子は下記のとおりです。

桂歌春(師匠・2代目桂枝太郎の死去に伴い移籍)
桂歌助
桂歌若
桂歌蔵
3代目桂枝太郎

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