いだてん「気になる次週の展開」あらすじ第17話~東京オリムピック噺~ NHK大河ドラマ2019年

いだてん

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2019年のNHK大河ドラマ
「オリンピック」を題材にしたいだてん」~東京オリムピック噺~です。
2019年1月6日(日)から(全47回・初回60分)の放送予定となります。
主役はマラソンの父・金栗四三(かなくりしそう)と水泳の父・田畑政治(たばたまさじ)です。
最初は明治から始まる中村勘九郎さんが演じる
金栗四三(かなくり-しそう)が中心となります。
また、BS4K放送では先行放送が行われます。
このシリーズでは、いだてん放送内容のあらすじ・ストーリーを掲載致します。
従って、ネタバレを含みますので、
放送を楽しみにお待ちになる方は、読まれるのを避けたほうが良いかも知れません。


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いだてん 第17話

ベルリンオリンピックの中止を
四三は治五郎から知らされました。
東京高師の校長室で、
欧州戦争の長期化により無期延期になったと
聞かされると四三は言葉を無くして
それ以降下宿に閉じこもってしまうのでした。
心配した野口と橋本がやってきましたが、いくら呼び掛けても
四三は返事をしませんでした。
2人が播磨屋の店内で辛作、清さん、シマと気をもんでいると、
福田と徳三宝もやってきました。
徳三宝が四三の部屋の襖に体当たりをしてすかさず、
清さんが部屋に入り込むと、四三はただ、虚空を見つめていました。
「元気出せよ、韋駄天!気晴らしに走ろうぜ!」
「オリンピックがのうなったとに、なーして、
俺ぁ走るとですか」
それでも清さんは四三を表に連れ出そうとします。
2人がもめていると四三は突然に桶の水をひっかけられた。
「こん人、水ばぶっかけると大人しゅうなりますけん」
新聞でオリンピックの中止を知って上京してきたスヤでした。
四三はスヤに苦しい胸の内を語ります。
「キツか練習ばした夜はスヤさんの夢ば見ました。
起きて走って寝て走ってくたくたで、それもあと1年の辛抱と
言い聞かせてきました。はー悔しか」
だからといって熊本に帰る気にも四三はなれません。
スヤは辛作に自転車を借り、四三は足袋をはいて表に出ました。
息を弾ませて走る四三にスヤが伴走し、2人は走り続けました。
この日、スヤは四三の部屋に泊まりました。
まどろみかけたスヤに四三は詫びました。
「こん前はすまんかったね。追い返して。
これからは時々あいにきてよかけん」
その言葉にスヤが安堵すると、四三はこう続けました。
「ばってん、先の事も考えんといかんなぁ」
夫婦の将来の話だとスヤは思っていましたが、
四三が案じていたのは日本マラソン界の未来の事でした。
自分が走れなくなったら誰が後を引き継ぐのでしょうか。
全国にいる韋駄天の卵を一人で見つけて指導するのは至難の業です。
熱弁する四三にスヤが呆れて言いました。
「金栗四三が50人おったらよかばってんね」
翌日四三は東京高師に治五郎を訪ね、
指導者になるべく教職に就くと告げました。
四三は前夜のスヤの言葉からあることを思いついたのでした。
自分がもし50人いたら50倍の距離を走ることが出来る。
一人10キロ走れば500キロで
東京から大阪の距離を走ったことになる。
マラソンで40キロの距離を走るのはつらく孤独です。
が、団体競技と考えてみてはどうかと
治五郎は四三に問いかけました。
助け合い、励まし合う仲間がいれば、
大阪から東京までも走ることができます。
それを想像しただけで、
四三も治五郎も体が熱くなりました。
「いつの日か東京から大阪まで走破するために、
その50人ば育てるために、俺ぁ教員になります!」
こうして四三は、
オリンピックに代わる新たな目標を見つけたのでした。
大正5年(1916)年、四三は神奈川師範の教員となり、
学校で地理を教えるかたわら、
辛作と二人三脚で練習法や
足袋の改良に励む日々が始まりました。
シマは東京女子高師の生徒となり、
ミルクホールの仕事も続けていました。
四三と共にミルクホールを訪れた治五郎は、
女子体育の振興は、
国を挙げて取り組むべき課題だとシマを励ましました。
四三と治五郎はこの日、
東京ー大阪間のレースの話をしていました。
すると、そばの客が声をかけてきました。
京都じゃダメですよね?」
そう尋ねたのは大村という読売新聞の記者でした。
同じく記者の土岐善麿(ときぜんまろ)とともに、
四三たちの話に耳をそばだてていたのでした。
ちょうどこのときと読売新聞は、
京都から東京への遷都50周年の協賛行事として、
画期的な運動会を行おうとしていました。
土岐たちはこのあと、
浅草で運動部のご意見番と会うことになっていました。
治五郎は、それを聞くと一緒に行くと言い出しました。
「新聞社が協賛してくれたら鬼に金棒だ」
待ち合わせ場所の凌雲閣の展望台には
天狗倶楽部のヤジ将軍こと、吉岡信敬がいました。
ご意見番とは、吉岡の事だったのです。
眼下の景色を眺めながら、
土岐は東海道53次を辿るレースはどうかと提案しました。
四三も吉岡も賛同し、壮大なアイデアに興奮しました。
治五郎も賛同し、西側に見える森を見つめて言います。
「私はあそこにスタジアムを作る。いつの日か
東京でオリンピックを開くために」
その広大な土地は、明治天皇を祀る明治神宮を建設中なのだと
土岐に教えられ、治五郎は驚きますが、
それでも競技場を作ろうという決意は揺らぎませんでした。
吉岡、土岐、大村も招いた体協の会合で、
四三は東海道53次レースの説明をしました。
全体を23区間に分けて、関東、関西、中部、23人のランナーで
516キロ走り継ぐレースとの事です。
読売新聞の主催ならばということで、
話はまとまり、
画期的なレースに相応しい名前を
つけようということになりました。
「駅伝はどうだろう」
武田が提案しました。
東海道の53の宿場、つまり「駅」を「伝」って走るから
駅伝、というわけなのです。
この案に皆が賛成しました。
シマは、「東海道五十三次駅伝競走」
の開催を知らせる新聞記事を読み、
女子も参加できないだろうかと考えました。
そして、四三の勧めでトクヨに相談してみたところ、
激しく叱責されてしまいます。
何でも「野蛮」で「残酷」なので「不要」であると。
それを聞いて四三は、
マラソンの魅力が世間に伝わっていないことに憤ります。
すると吉岡がマラソンの指南本の執筆を勧めました。
治五郎も賛同し四三はこの年
「ランニング」という本を出版しました。
大正6年(1917)4月27日、
「東海道五十三次駅伝競走」が開幕しました。
午後2時、京都三条大橋に号砲が響き、
関東軍、中部軍のトップランナーがスタートしました。
関西軍は残念ながら選手が集まらず、
直前に出場をキャンセルしました。
関東軍の13区の選手がアキレス腱を切って棄権し、
14区の選手が2区分を走るというアクシデント等はありましたが、
選手たちは懸命にタスキをつないでいました。
バトンを握って長距離を走るのは辛いので
代わりにタスキを使うというアイデアは、
スヤがタスキ掛けで掃除をする姿から、
四三が思いついたものでした。
関東軍の最終走者は四三です。
レース開始からおよそ44時間後の
29日午前10時5分、四三は川崎を出発しました。
四三がゴールの日本橋に着く頃には、市電の線路を塞ぐほどの
大観衆が応援に集まっていました。
多くの人々が四三とともに走り、
「駅伝!」の掛け声が飛びました。
スヤも観衆の中から必死に呼びかけました。
「かなくりー!」
結果は関東軍の圧勝でした。
日本初の駅伝は大成功で幕を閉じました。
その後、熊本に戻ったスヤは妊娠していることがわかり、
幾江が大喜びで金栗家に知らせにきました。
「子供が授かったらさすがのマラソン馬鹿も帰って来るばい、
こっで池部ん家は安泰じゃ!」

気になる次週の展開、第18話は、準備ができ次第、別記事にて掲載させて頂く予定です。

いだてん~東京オリムピック噺~出演者キャスト速報


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