おんな城主直虎のあらすじ~第48話と第49話【NHK大河ドラマ2017】

安土城

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2017年NHK大河ドラマおんな城主・直虎」ですが、新展開で益々見逃せません。
ストーリー(あらすじ)の第48回と第49回です。


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おんな城主・直虎~第48話のあらすじ

武田を滅ぼした織田信長は、帰り道に遠回りして、浜松城に立ち寄るとの知らせが徳川家にもたらされます。
徳川家康は、そそうが無いようにと、街道の道を広げ、途中には休憩所となる陣屋や神社を豪華に整備するなどし、大騒ぎとなります。

織田信長が浜松城に入ると、庭では相撲も取り組みされ、織田信長は徳川家の接待に大いに満足し、安土城に徳川家康だけでなく徳川家の重臣も招待することになります。

井伊谷では、明智光秀の子・自然(じねん)に、今川氏真が付き添っているのが龍潭寺で発見されます。
なんでも明智光秀は、家康ら一行の殺害を織田信長から命じられ、そのことを考えているうちに、織田信長も殺害することを思いついたと、今川氏真に明かしたと言います。
しかし、徳川勢がのこのこと安土にきては、織田信長殺害の策が成り立たないため、我が子を徳川家へと人質に出す訳だが、人目につかないところと言う事で井伊谷になったと言う事なのです。
その明智光秀からの仲介に応じた直虎は浜松城へと向かうのでした。

既に、明智光秀が人質を龍潭寺に送ったと知っていた徳川家康は、明智につくか、それとも織田信長にこの企みを知らせるか、悩んでいました。
そこを直虎は、今のうちに織田信長を亡き者にして、戦の無い世の中を徳川殿に築いてほしいと訴えるのでした。

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おんな城主・直虎~第49話のあらすじ

1582年5月、徳川家の一行は安土城に入るころ、井伊直虎は京に滞在して、茶屋四郎次郎と面会していました。
井伊万千代から頼まれて、何か発生した際に、徳川家の一行を三河へと返すための手はずを整えるためです。
そのひとつの方法が、堺から船で知多半島へ逃れると言うことで、堺にいる中村屋と龍雲丸にもあたってみることにします。

明智光秀の策は、本能寺で行われる茶会の際に、討ち取るというものでしたが、そこに、備中・高松城の清水宗治に手こずっていると、羽柴秀吉からの援軍要請が届きます。
そのため、急きょ、明智光秀に急ぎ向かうようにとの命が下されました。
そして、徳川一行は、堺の見物をするようにと言う事で、堺に向かいます。
しかし、その間にも、徳川家のみなみなが襲撃されるようなことはなく、そもそも織田信長が徳川家康らを殺害しようとは考えていなかったのでとの憶測も成り立つようになりました。
そんなおり、本能寺の変で、織田信長と織田信忠が討たれたと知らせが届き、陸路、伊賀を越えて三河を目指す一行となりました。

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